洗濯女の複合的感情

喜劇は、悲劇プラス時間 / Comedy is tragedy plus time.

これまでとこれからの狭間

今日は私的節目(?)なので、簡単に今を書き留めておく〜

 

2018年夏にNYに来て約1年半が経った。今となればあっという間だった。前回の記事で若干ふれた通り、前よりは視界が開けて、日本では無意識に一方向で見ていたことが一歩引いて多角的に見えることも増えたような。

自分が選んだ憧れの街でなんとも凝縮されたあらゆる経験ができて本当に来て良かったなと思う。あんなに散々迷ってたのに。色々繋がってきてなんとも嬉しい。本当に今となればあっという間な気がするけれども、やはり色々しんどい事も沢山あった。特に何をしているわけでもないのでしんどいとか言っても大したことないのもわかってるけど。笑 全ての机と椅子が合わなかったり、全ての物が大きすぎたり、全体的に負荷がかかり身体はわりとボロボロである。笑 でもその反面、精神はより健康になった。あとボロボロとはいえ今の所病気には1回もなっておらずなんとありがたいことよ・・・

(こちらに来る前にもっとやれば良かったのではという話ではあるけれど)英語ができなさすぎてリアルに泣きながらめちゃんこやった。それでも周りは比べ物にならないほどできて、そしてそれが当然の世界だし、できないと能力が低いと思われかねない。使える程度の言語能力という意味では、(私たちが自然に日本語を使えることと同じように)能力というより習慣に基づいてる気がするので20代後半以降に身につけるのは結構ハードル高い。もはや習慣ではなく勉強しなきゃいけなくなるから。しかも勉強てレベルではなく猛勉強だと思う。笑 周りに恵まれ皆とても優しいけども、できて当たり前で全てが進んでいく空気感は常にある。まぁ当たり前だよね、逆で考えたらそうだよねと思うわ。とにかくできるようにするしかないのだけど、どれだけ頑張ったとしても明日や1ヶ月後にできるようにならないから普通に辛い。30歳を超えて幼稚園児のように話続けるの結構きついよ!笑 ただ、今馬鹿みたいでもできるようにしたいと本気で思っていることのためには私は馬鹿になれるので、いいのだ。今までもそうしてきた。しかも本気で思っていることのためには馬鹿にされようが馬鹿になれたからがゆえにできるようにしてきた自信もわりとある。面白い人と出会えて面白い人達と共感できること自体が私にとっては何にもかえられない素晴らしいことで、その可能性を無限に高めたいわ。

自分のバックグラウンドは、良くいえばユニークらしいが、やはりどこにも所属できない寂しさみたいなの感じること正直多い。そして悪くいえば客観的には端的な一貫性が見えづらいらしく(私自身の中では11年かけてここを目掛けてた勢いで繋がっているのだけど・・・笑)、アメリカ社会で厳しい目で見られることも多い。けど、Fashion Marketingにして良かったなと思うし、来る前にぼんやり描いていたものよりも自分がやりたいことの骨格がくっきり見えるようになった。普通でいくとお前何言ってるんだってくらい人生遅れてるんだと思うけど笑、まぁもうどうでもいいですわ。私は私でやっていかねば。(まだたまに弱気になる時あるので言い聞かせも兼ねて。笑)

 

上野千鶴子さんのあれじゃないけど、頑張ったら努力が報われる/自分の頑張りに比例して到達点が訪れると多分今まで無意識に思っていたけど、そういうことでもないんだなと思えるようになった。日本は恵まれているし、私自身についても例えば先人や今まで出会えてお世話になった人達やほぼ偶々で構成されてる。各々の生まれや育ちや遺伝環境全て言うてみれば偶々で、そこを受け入れてその上で自分はどうしていく/どうしたいかについて全力で生きるのが本当に尊いことだなとより思えるようになった。そして今までダイバーシティや異文化受容についてわかった気になってたけど、他や異を受け容れるってそういうことかと前よりは格段に内面的/深層的に捉えられるようになった気がする。偶々素敵な人やものに出会えて、偶々色々チャンスが巡って来たので、辛いであろうことも含めとにかく全力で楽しんで、最高の1年にしよう。(未来の自分への手紙)

 

いやもう、本当に、温かく長い目で付き合ってくれている全ての方々に感謝します。

もっと色んなことを経験して、想像力を高め、単純にもっと優し面白い人になりたいな。

 

シャー!!!!

 

(眠すぎて中盤あたり適当に端折りすぎたけど仕方ない!笑)